Cat of AZ

Non Stop Thinking

天気の子、いろいろな感想

「天気の子」を見ました。 余韻が抜けないので感想を書きます。

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この先にネタバレがあります。 まだ見てない人は見てから読んでください。




昔書いた新海誠に関する文章

青春は敗北する - Cat of AZ

少年と少女の青春

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「天気の子」本当に最高でした。

新海誠というクリエイターの文脈の中で、作家性の芯を強く感じる作品でした。

前作「君の名は。」はとても素晴らしい作品でした。一つの物語としての面白さも素晴らしかったのですが、「ほしのこえ」から始まる一連の作品で描かれた絶望のフラストレーションに対して、青春に希望的解釈を与える幸せに満ちたエンディングが衝撃だったんですよね。「君の名は。」には、これまでの新海誠作品の比ではないカタルシスがあったのです。 そして「君の名は。」が最高のエンディングであったがために次回作がどうなるのか不安でした。もしかして心のどこかで、希望があったらいいなという思いと同時に、絶望に共感したいという気持ちがあったのかもしれません。

思えば若い頃「秒速5センチメートル」が特別に好きだったかというとそんなことはなくて、映像や音楽の美しさに惹かれつつも主人公の不甲斐なさや無力さに腹が立つような気持ちの方が強かったような気がします。 「言の葉の庭」も『今が一番幸せかもしれない』と言った2人への、じゃあ一緒にいろよ!みたいな、憤りのような気持ちがあります。 今改めて見ると、敗北と絶望が美しく描かれていることに共感する部分が出てきて、歳をとってしまったなと思うのですが。

で、「天気の子」はどうだったのかというと「君の名は。」以上に希望に満ちた物語でした。 かつて「秒速5センチメートル」に抱いていたような、そうあってほしいというある種の都合のいい願いが叶うような、そんな物語です。そういう意味で、すごくよかったと思うポイントがいくつかあります。

希望のために払った代償の大きさが、その選択の重さであり、2人の結末を強く意味のあるものにしていること。

東京という社会の中であくまで子供である帆高と陽菜が、大人と対比され、大人であれば簡単に解決するような問題にぶつかったり、大人になることを求められる中で、それを子供のまま乗り越え、年相応のエゴイズムが承認されること。

大人であり大人として振る舞っていた須賀が、大人として正しくない、しかし子供として正しい行動を取り、その行動が帆高にとって良い結末に向かうこと。

それらは新海誠作品の文脈において、特別な意味を持った救済だと思うのです。

須賀の、帆高を正そうとするけれど、しかし他の大人が帆高を正そうとするのは許さない、という矛盾は、須賀が帆高に自分を重ねていたからこそ生じたもので、それは夏美の指摘した内面的な類似性の表れであり、つまり須賀は陽菜を失った帆高自身なんですよね。 その抵抗は、同じ絶望を知っている人間のみが差し出すことのできる助力であり、絶望を知っていることが無意味でないことを見出しているようにも思えます。 それは、これまで青春に敗北した過去の主人公たちの絶望が、きっと意味のあるものだというメッセージのように感じられて、非常によかったです。

安易な感想

あえて安易な言葉を使って表現してしまうと、エロゲのようでした。もう散々言われているかもしれないのですが。本当に、エロゲの2週目のような感覚がありました。

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君の名は。」は、ヒロインとのハッピーエンドが世界のハッピーエンドと等しく、ヒロインを救うことが世界を救うことでしたが、これはまさしくエロゲの1週目です。

「天気の子」は、ヒロインとのハッピーエンドが世界のハッピーエンドと等しくはなく、世界を敵に回してもヒロインを選ぶという、そういう2週目のルートであったように思います。

そう思うと、「君の名は。」や「天気の子」を勧めるとき、「ほしのこえ」も「雲のむこう、約束の場所」も「秒速5センチメートル」も「星を追う子ども」も「言の葉の庭」も全部見てから見て!という気持ちになるのは、同じエロゲの中で1つのテーマとして繋がっている別ルートという感覚なのかもしれません。

またエロゲ業界自体はすでに全盛期の勢いを失ってしまっているのですが、そこで育まれた記号や文化は間違いなくこの作品に生きていて、最高のアニメーションとなって全国の映画館で放映されていることは非常に感慨深いものがあります。これもまたエロゲにとっての一つの希望なのかなと思います。

細かい感想

プロモーションのミスリードが完璧で、家出は物語の核心には一切触れないし、『世界の形を決定的に変えてしまった』のは結末だし、晴れる物語だと思ったらそんなことはなく、見事に裏切られました。

風俗の求人電波ソングトラックが電波ソングと共に大々的に流れましたが、あれは許諾取ってるんですかね。 というか、あのシーンであのトラックが流れる必然性がわからなかったのですが、この瞬間の東京の風景を切り取ろうという試みなんでしょうか。 天気の子は少年少女の物語なので、どちらかというと相応しくない描写のようにも思えましたが、本作は子供に向けて作られたものではないのかもしれません。

君の名は。」の瀧と三葉が登場しましたが、それぞれ独立したシーンでの登場であり、二人の関係性については触れられていなかったことが印象的でした。「君の名は。」は二人が再開する形でエンディングを迎えましたが、再開したからといって二人が人生を共にするとは限らないというか、そこは悲観的な解釈の余地が残されているように思いました。

おわりに

本当に最高でした。最高すぎて強烈なカタルシスがあり、その余韻が抜けなくて書きました。

また劇場に見に行きます。