Cat of AZ

Non Stop Thinking

青春は敗北する

これから「君の名は。」を見るので、最新作を見てしまう前に、これまでの新海誠作品について思っていたことを適当に書きます。 「君の名は。」のネタバレはないです。

青春と敗北

新海誠作品というのは、基本的に青春が敗北する物語です。だから見ていて辛く苦しい。

ここでいう青春というのは、主に思春期の少年少女が抱く、一種の理想であり、「この世界のどこかに運命の相手がいる」とか「この人は運命の相手だ」とか「運命の相手といつか結婚するんだ」とか、そういう気持ちです。 記憶に新しい「言の葉の庭」でいうならば「人生で今が一番幸せかもしれない」という気持ちが青春になります。 歳を重ねるごとにいろいろな経験が積み重なって、現実は理想とは違うのだということを感じてしまうわけですけれども、少年少女にそんな言葉は通じないわけです。

そして物語の中の青春というのは、長年の恋が結んだり、負けヒロインが負けたりと、落ち着く所に落ち着くわけです。 でも新海誠作品では、そういった都合のいいハッピーエンドは存在せず、青春はすべからく敗北します。

敗北です。新海誠作品において、青春は失われたり、過ぎ去ったりするものではなく、敗北していると思います。 二人の男女がお互いに運命だと信じていて尚、その青春は実を結ばないのです。

何に敗北するのかというと、世界に敗北します。人一人ではどうしようもない現実に敗北します。

ほしのこえ」では宇宙(物理的に広大な空間)に敗北し、

雲のむこう、約束の場所」では夢(あるいは記憶の忘却)に敗北し、

秒速5センチメートル」では成長(時間の流れによって変わるもの)に敗北し、

言の葉の庭」では立場(禁断の関係)に敗北します。

新海誠作品は、本当にどうすることもできない、ただただ大きな現実に、青春が敗北する物語です。

美しい青春、美しい敗北

青春は美しいものですが、その敗北も丁寧かつ繊細に美しく描写されます。

ビジュアルとしても色彩鮮やかですが、何よりも敗北が劇的です。ドラマチックです。

新海誠作品の魅力

みんな通った道だから共感できるんだと思います。 もちろん、作品のようにドラマチックではないでしょうけど、多くの人が、かつて青春を抱き、現実に敗北しているんだと思います。 あの日言えなかった言葉とか、後悔とか、誰にだってあるわけで。 かくいう僕も負けっぱなしです。昨日も負けたし今日も負けた、たぶん明日も負けます。 そういった敗北の経験とどうしても重なるんですよね、新海誠作品は。

一方で、そんな青春も今では全部昔のことで、時々思い出しては辛かったなぁと思うだけで、普通に生きていけるんですよ。

新海誠作品には青春に敗北した主人公の様子まで描かれますが、とても負けたようには見えない。普通です。 劇的なシーンとのギャップに驚くぐらいに普通です。それが敗北してきた我々にとっての希望になっているような気もします。

また、敗北が美しいというのも、一つの救済になっているんじゃないかと思います。 思い出となってしまったら、少なからず美化されてしまうんでしょうけど。 思えば、新海誠作品って主人公の過去語りによる進行が多いですね。 あれは作中でも思い出補正がかかっているということなのかもしれません。

君の名は。

新海誠作品は青春が敗北する物語だという気持ちを持って「君の名は。」のことを考えると、今度は何に敗北するのだろう、と想像してしまいます。 入れ替わりってことは、男女の性別(どうすることもできない現実の一つ)だったり。そういったところが楽しみです。

この文章を書いている時点で売上100億円を突破しており、本当に敗北するのかというところも気になってます。 敗北はどんなに美しくても敗北なので、多くの人に受け入れられるものではないような気もするんですよね。 となると、ついに青春が成就するのか。とても気になっています。

君の名は。(通常盤)

君の名は。(通常盤)