Cat of AZ

Non Stop Thinking

タコピーの原罪、完結に寄せて

全16話で完結しましたので、感想と考察です。

[第1話]タコピーの原罪 - タイザン5 | 少年ジャンプ+

以下、ネタバレを含みます。

感想

とにかく最後はハッピーエンドでよかったッピね。

序盤から中盤にかけて、ただつらく心を抉られる展開で、リアル系怖い話として読んでました。

毎週の更新は、続きがどうなるのかのワクワクというより、救いがあればいいな、という気持ちが強く、 しかしいざ読むと勢いよくキャラを切り替えながら視点の違う不幸に没入させていく描写には読み応えがあり、 社会的なテーマというか作家のメッセージも込められてあって見事でした。

タイトルにある「原罪」は「現在」へのダブルミーニングで、SF的な展開も面白かったです。

最終回

最終回の展開が、なんでそうなったのかわからないという感想をよく見かけましたが、 僕の感想は「よくわからなくてもハッピーになったからいいんだッピ。これはおはなしだッピ」です。

たしかに、タコピーがハッピー力を使ってハッピーカメラを使う展開には、なんの脈略も伏線もなくて唐突なんですが。

タコピーの言う「おはなし」は、対話と物語のダブルミーニングになっていて、 この作品が「対話が(キャラクターの問題を解決して)ハッピーを生む物語」であると同時に「この物語が(読者への)ハッピーを生む」という構造になっています。

では、この物語におけるハッピーとは何なのか?

それは、しずかちゃんとまりなちゃんが仲良くしていること。だけじゃなくて、この物語が物語らしく終わることがハッピーだと思うんですよね。 それはつまり序盤から中盤まで描かれたあまりにリアルな社会問題から読者が目を背けられること(だって全部フィクションだから)が一つの救済になっているのだと。

そう考えると、終盤の唐突な展開は、フィクションであることを強調するための演出であり、読者を救済してハッピーにするために必要な要素だと理解できます。 まりなちゃんがタコピーの絵に「ごみかす」「壊滅的にバカっぽい」「何もできなさそう」と罵るのは、フィクションが社会問題に直接的な解決にならないことへの作者の自虐的な表現でもあり、「でも何かしそう」には希望が込められているのではないでしょうか。

タコピーが犠牲になることで、しずかちゃんとまりなちゃんに対話(おはなし)が生まれ、同時に読者への物語(おはなし)が生まれた、という解釈です。上手いことできてますね。

一方でこの解決がメタすぎて、多くの読者にとって問題が何も解決しないままご都合主義的に物語が終わったように感じるのは理解もできますし、キャラクターの不幸な境遇に自分が経験したリアルを重ねていた読者ほどカタルシスが不足するのではないかと思います。

だから、タコピーを単に面白いと表明することが、序盤で描かれた問題への当事者でないことの表明になりえるというか、一歩引いた視点で楽しんでいる消費者と捉えられかねない要素でもあって、気軽に感想を表明することが難しい作品ではあるのですが、あえて言うと、僕はメタ的なカタルシスが得られてハッピーでした。

まとめ

ありがとう

バイバイ